中津競馬場

昭和6年開設(昭和13年に「軍馬資源保護法」により廃止。昭和23年再開)
コース:右回り1周1000m・直線195m
平成13年6月3日限り廃止(レース最終日は平成13年3月22日)

 バブルが弾け不況が続く中、現在に続く地方競馬場廃止の第1号が、この中津競馬場である。大貞競馬として戦後復活し市財政を支えたが、昭和54年度の130億円の売り上げをピークに下降の一途をたどり、閉鎖した平成12年度の売り上げは38億円にまで落ち込み、累積赤字は21億円に及んでしまったのが廃止の理由である。しかし、廃止決定が2月13日と余りにも急であり、100頭ほどは、他の地方競馬場や牧場などに引き取られていったが、受け入れ先が見つからなかった残る200頭の競走馬たちは、廃馬処分の運命をたどった。また、騎手、調教師、厩務員などに対する市の無責任な対応も大きな禍根を残すこととなった。市側は6月末までに厩舎団地からも退去せよという通告を出した。これによって約150名の競馬従事者が職を失い、約400人の家族が路頭に迷うこととなった。これに関しては、週刊現代誌上(後述)、NHKのドキュメント番組で、その惨状と自治体の理不尽さがクローズアップされたので、ご記憶の皆さんも多いかと存じます。
 私は、当初は「6月廃止」との報道だったので、5月のゴールデンウィークに行く計画を立てていた。それがどういうわけか、急に思い立って、耶馬渓鉄道の廃線跡に行きたくなり、平成13年3月14日、サイクリングロードになっている廃線跡をレンタサイクルで探索、青洞門でレンタサイクルを返却したのちタクシーを飛ばして、瀕死の中津競馬場を訪れた。この直後、写真判定をする映像業者との契約が更新されなかったため、レースは3月22日をもって、開催休止に追い込まれ、そのまま「自然廃止」の形になってしまったのだから、まったく虫の知らせという他はない。余談であるが、専門誌を買ったら特観席の招待券がおまけに付いていた。ガラガラであったことは言うまでもない。

 まずは、下のグラビアを見てください。中津競馬の廃止に寄せて「週刊現代(2001年6月13日号)」に特集された記事です。前述の如く、廃止公示から立ち退き期限の6月末日までの期間があまりにも短く、競走馬としての引取先を探すのがままならないのはもちろん、食用にするにも肉質をよくするため、約8ヵ月間の肥育期間が必要で、中津の馬たちは、精肉業者に売られることすら待たずに次々と処分されたといいます。以下、グラビア写真に添付されたコメントをそのまま紹介します。

【左】畜産業者の飼育場から屠畜場に移送される中津競馬場の競走馬
【中】馬は視界がほぼ360度あるため目隠しをされ、額を打ち抜かれる。約500kgの巨体が崩れ落ちた。
【右】処分された4歳牝馬ヤマノシルエット。中津で2勝したこの馬は競馬場廃止が決まらなければ、今年、一番活躍が期待できたという。


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 上のグラビアで、無惨な姿になる僅かひと月前、ヤマノシルエット号最後の雄姿(5番)。せめてあと少し立ち退き期限が遅かったら、彼女の雄姿をどこかの競馬場で再び見ることができたかも知れない。
 この日の第6レースで4着と健闘。だが、ヤマノシルエットに「明日」はやってこなかった・・・。

僕の夢を乗せて先頭を快走するヤマノシルエット。彼女の姿を再び見るのがたった3ヶ月後の週刊誌のグラビアになるとは、このとき予想だにしなかった。それにしても、ヤマノシルエット絡みの馬券を買っていたことも、それを持ち帰ったことも全くの偶然!!


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 不覚にもシャッターチャンスを逸してしまって面目ありませんが、ここ中津競馬の看板ジョッキーだった小田部雪騎手をパドックにて撮影。同騎手は中津の廃止後、荒尾に移籍したが、今はどこで何をしているのか。その後ろを周回しているのは高山伸一騎手。現在は荒尾競馬で活躍中。
 ここ中津では、全国から女性騎手を招待して行われる「卑弥呼杯」が名物レースで、小田部騎手も地元の期待を背負って出走していました。今、同じ九州の荒尾競馬で、「荒尾ジャンボ梨特別」、「天草パールセンター杯」の2レースが「全日本レディース招待騎手競走」として「卑弥呼杯」を受け継ぐ形となったことは楽しみな限りです。

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 コースを正面から撮影。内馬場には遊戯施設などもあり、地方競馬場としては結構充実していました。
 また、平成9年11月29日に樹立した、729,000円の枠単配当最高記録は今も破られていません。確か6枠連単制をやめて8枠化した直後のことだったように記憶しています。私も果敢に枠単に挑戦しましたが、あえなく撃沈。去りゆく競馬場に「最後の餞」になってしまいました。

PHOTO  お客さんはリタイヤした高齢者ばかり。それもご覧のように100人程度の観客数です。これでは廃止の運命は避けられなかったかも知れません。
 だから、市が問われるのは、廃止したこと自体ではなく、「思いやりの欠如」に他なりません。競馬で身を持ち崩す人、無料招待券という苦肉の策を講じなければならない荒廃した特観席、深刻な社会問題として、昭和63年に市長に就いた鈴木一郎氏は「廃止は就任当初からの勘案事項だった」と語ったという。ならばなおさら、今回のような、「補償なし・即時廃止」の一方的なやり方は、批判を受けて然るべきでしょう。
 その後、鈴木市長率いる中津市は1年かけて競馬場従事者の就職を斡旋、総額2.3億円の補償をしたという。こんな簡単なことに気づくまでに、あたら有能な馬が血まみれにされなければならなかったのでしょうか。






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